臨床医として働きながら米国MPH受験

卒後7年目産婦人科医。日常診療に忙殺されながらも海外MPHに向けて奮闘中

ハーバード公衆衛生大学院で必要な英語力の話

米国MPHに必要な英語力ってどれほどのものなのか。

受験要件としてはTOEFL100点とよく言われる。その中でもOverall 25(reading, listening, speaking, writingともに25)が望ましいとされ、可能であれば104点と定められている。

実際蓋を開けると97,98点の人もいるらしい、と聞いた。

実際100点そこいらでくるとどんなもんなのだろうか。

 

まず、一言で言って、全く不十分である笑。

 

最初に新学期が始まる前に出会った韓国人の友達が

“私は英語ができないから、、、英語ができなくて心配、、、”

と散々言っていて、そんなTOEFL100点あってきてるんだから自信もっていいやん!って思っていた記憶がある。

しかし、いざオリエンが始まると、なんとも心苦しい日々であった。

 

1.授業や講義の話

授業やofficialな場所で話される英語は大体わかる。

ただ、この大体っていうのがポイントで、全ては分かり切っていないのだ。

今言われた言葉を訳しなさい、と言われたら多分できる。

時々知らない単語も出てくるけど、大枠は日本語訳にできる。

 

それが、1時間の話になると、「あれ?何言ってたっけ?」ってなる。

結局巨大な味のないわたあめを食べ切ったような感覚で、食べたーという気になるものの何を食べたかわからない、って感じ。

 

あと、一生懸命集中していないと、しっかり掴めない。

授業中みんなよく内職している。私も日本では内職マシーンだった。通常家で何か作業するより、意外と授業中の方が捗ったりもした。しかしここではまるで無理だった笑。内職しながらも内容についていける人はいいけれど、内職したら、さっぱり英語は聞き取れなくなる。日本語で内職していたら尚更。

英語だと100%集中していないと、理解できないし、100%集中していてもボヤーーっとした理解にとどまってしまう。TOEFLだと10分そこらの内容だし、そんなボヤーットした理解でもなんだかんだ選択肢を選べたりもする。

ただ授業だと、これについてどう思うか、discussionしてみて!とか、質問ある?とか、時には争うように言い合ったりもする。授業内容に意見まで求められると、ボやーっとした理解を自身の言葉に落とし込む必要があるし、それを自分の意見を踏まえて発言するとなるとspeakingの問題もあり、完全に取り残される。

絶望的な気分だった。ネイティブが話す英語は、英検とかTOEFLのように綺麗でない。いや、綺麗なんだけども笑。そしてとんでもなく長い。当然、構文なんか気にしながら聞いてられない。さらに学生がアフリカ人、インド人だったりするとその訛りは全く理解に及ばない。それでも徐々に慣れてくると授業内容も、みんなの発言もそれとなくつかめてくるのだが、発言するところまではすごくハードルが高い。

 

Discussion postという、掲示板がある。授業内容や予習課題のリーディングで読んだことに対し、自分の意見を述べる場所である。たった200字程度のこの発言も、ネイティブはレベルが違う。正直英検のライティングの模範解答なんかよりずっと素晴らしい英語論文たちである。それを読んでるだけでも聞いたことのない単語や表現の使い回し、気の利いた言い方、すごく勉強になる。それもそのはず、世界の上澄みのような優秀な人材が集まってきているのだから、きっと日本人相手の英語教材の模範解答を作ってる人よりwriting力があるのだろう(勝手な解釈ごめんなさい)

日本人の私の同期が、「ハーバードは世界で一番高い英語学習塾だと思ってます」って言ってたのだが、本当に本当にその通り。授業でのみんなの言い方やこの掲示板を眺めて表現を盗んでいるだけでも、最高に高級な英語学習の場な気がする。

 

2.日常会話の話

授業よりもやばいのはこちら。

よく、英語できますか?という質問に「日常会話レベルなら…」っていう人いるけど、絶対嘘笑。ネイティブとの日常会話は、ハーバードの大学院の授業より断然難しいぞと、大声で叫んでやりたい笑。

 

非ネイティブとの会話はまずまず。そういう意味でもアジア人とは居心地がいい。韓国人も中国人もきっと同じように英語を勉強してきているから、なんとなく突っかかる単語や言い回しが一緒なのである。私の英語も理解してくれる。何より、理解しようとしてくれる。

 

ネイティブと一対一の対話はまだできる。ネイティブだから私の英語もへなちょこでも理解してくれるってのもあるし、一対一なら理解してくれようとする努力も保たれるからだ。

 

えぐすぎなのは、ネイティブ複数人。

これは地獄。みんなの話は絶叫マシーンのように展開されるし、スラングも増える。イギリス人とアメリカ人で使う英語も若干違う。さらにアカデミックな話になると自身の意見を盛り込んで複雑な構文と言い回しと、時々スラングと共に過ぎ去っていく。ついていくのにも必死なのに、私の意見を求められると、会話の流れに急ブレーキがかかるのがわかる。私が話すのが遅すぎなのだ笑。みんなも必死に耳を傾けるモードになるから、申し訳なさすぎて消えたくなる笑。

夜中にみんなでゲーム、とかなるともう本当に地獄。穴があったら入りたい、とはまさにこのこと。日本のお笑い芸人たちが“一発”という逆をやってる番組をご存知だろうか。写真や動画を見て、一言パンチの効いた面白いことを言う、と言う芸人のゲームがある。あれの英語版が流行っているのだ。Memeというものなのだけど。

私のこの限られたボキャブラリー力で、パンチの効いた、ネイティブを笑わせられる一言なんて出てくるわけがない。しかも結構下ネタなんかも混ざってきて、下ネタを英語で習ったことがない私はまるでついていけない。懐かしい漫画や映画のネタ、単語あてゲームとなってもまるでついていけない。

例えば、靴履く時になくて困るもの!というお題で、頭の中で「靴べら」「靴紐」などが思い浮かんだとして、パッと英語で単語が出てきますか?無理でしょ笑。

 

これは英語力だけじゃなくて文化の違いでもあるのだけど、こんな話が爆速で進んでいくと、もう固まった笑顔と愛嬌マシーンとならざるを得ない。

そんなこんなで、英語だと私は発言しない人になってしまった。おとなしい人、とも思われてたし、使う言葉が稚拙すぎて、バカな人、とも思われているなと感じる。

最初は悔しくて悲しかったけど、途中からなんか笑えるほどの諦めがついた。

それでも言語の壁を超えて親しくなれる友人もいるし、私のことをわかろうとしてくれる人もいる。でも確実にこの言葉の壁のせいで、socialな場所で機会を逃しまくってきたことは否めない。

でもこのネイティブとの日常会話って、どんな英語の勉強してきたらのばせてきたんだろう?甚だ疑問。

 

3.前提として

それでも私は日本では英語が得意な方だった。

旅行で何か通じなくて困ったことは、もうほとんどないし、ホテル内や旅先のトラブルもまぁ別に対処できるかなという感じ。

高校では帰国子女に混ざって一生懸命英語のディベートについていく努力をしていたし、医者になってからも英語で学会に参加したこともある。時々公式文書の英語の訳を頼まれることもあった。

途上国のJICAや国際機関訪問においても、英語が通じないと苦労したことはない。

ネイティブ以外の人たちとの会話で特段困ったことも、あんまり記憶にない。

 

しかし、大学院となると全く別だった。

こんなにも英語が通じないということを渡米前の私は想定していなかったんだろうか。謎。

 

1年経っても、多分私の英語力は変わってない。

私の努力不足もあるけど、AIの進化のせい。

本気で英語の勉強に時間を費やせばきっと多少英語力は伸びる環境だったと思う。でもそれ以上に、英語の勉強ではなく、一個一個の授業内容を咀嚼したくて、AIを使えるときは使った。日本語での理解の方がよっぽど身にしみると感じたので。

 

 

とにかくTOEFL100点程度の英語力じゃ、十分にMPHを楽しみきれないことだけはなんとなく言いたい笑。多分115点くらいあった方がいい。授業にちゃんとついて行ってるなっていう私の同期のモンゴル人はTOEFL Speakingずっと満点だった。きっとそういう人が身になるような学校なんだろう。

英語の勉強と、パブリックヘルスの勉強は別。一応私はPublic healthを学びにきているので、ある程度英語力は諦めてついていくことにした。